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【経験談】被虐待児だった私が2児の母となり思うこと【後編】

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こんにちは、メァ(@mea_magika_blog)です。前回の続きです。

 

前回の記事はこちら↓

 

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お題「最近気になったニュース」

 

親の指を握る赤ちゃん



 

『被虐待児』が思っていたこと

 私が一番ひどく虐待されていたのは、小学生の頃でした。

 

前回の記事で記述していた『身体的暴力』にくわえ、食事を与えない・必要な治療を受けさせない『ネグレクト(育児放棄)』

更に、名前で呼ばれず「ばけもの」や「ばか」と呼ばれたりする『心理的虐待』です。

 

当時の私は、何を考えていたのか。

それは、ただ『ご飯を食べたい』でした。

 

確かに私は、非行に走ったこともありました。

でもそれは、いじめの延長で陥れられたものだったり、飢えていたからでした。

 

親に何を訴えても、どんな良いことをしても、認められることはありませんでした。

 

ご飯さえ食べられれば、もう怒られるようなことをしなくて済むのに。

実際はそうではないけれど、それしか考えられませんでした。

 

いつしか、私は親に何も求めなくなりました。

どんなに困っていても、助けを求めたところで何もしてくれない。

それどころか、一方的に私が被害者だとしても、『お前が悪い』というような人達だったからです。

 

そう、かつては両親に期待し、裏切られ、失望し幻滅して、嫌いになったはずでした。

 

それでも、成長とともに親も安定して虐待行為がなくなって、親と共通の趣味ができて、会話が出来るようになった時、嬉しかったんです。

 

期待はしないままでした。助けを求めることも出来ませんでした。

それでも対等に話せて、時に頼られ、時に自ら動いて助け、親の苦悩を知り…

いつしか、嫌っていることができなくなりました。

 

今では、昔から仲の良かった家族のように接しています。

当時の私が、今普通に対等に親と接している姿を見たらきっと嬉しいだろうな、と思うからです。

 

でもさすがに、長男のしつけに対し『お前は少し厳しいんじゃないか?』と言われた時は、

 「どの口がそれを言う?!」と腸が煮えくり返る思いでしたが…。

 

『被虐待児』は虐待を虐待と認識してないことも

暗い日常のイメージ

あまり私の過去の話ばかりしていてもキリがありません。

というか、漠然としたことしか覚えてないんです。

 

私にとっては『虐待されている日々』が日常でした。

 

友達と遊ぶこともほとんどなく、友達が親に直接「遊びたいんです」と頼んでくれない限り、私には『友達と遊びに行く』ことも許されていませんでした

 

自分にとって強烈な思い出や、ごく稀に遊びに行けた時のことはよく覚えています。

しかし、それ以外は曖昧です。

 

私は、自分が『被虐待児』だとは思っていませんでした

 

理不尽に怒られたり、濡れ衣で半殺しの目に遭った時はさすがに「なんでこんなに怒るの?」とは思いましたが、主に『自分が悪い子だからだ』と思っていたからです。

 

実際、飢えをしのぐために盗みをしたり、家出をしたりはありましたから、身に覚えがありました。

そして、両親は妹達には普通でした。むしろ意見を全て鵜呑みにするほど甘かったです。

(そのせいで妹に陥れられた事も何度も…)

 

よく、「いじめられた方がいじめだと思ったら、それはもういじめなんだ」とか言いますよね。

 

はっきり言って、当事者から言わせてもらえば、それすら『机上の空論』です。

 

いじめも虐待も、長く続けばそれが日常になってしまい、『自分が原因だ』という考えになっていきます。

いわば、洗脳状態です。

 

自分が悪いから、これは正当な罰なんだ、と思います。

そんな考えの子が、自ら『これは虐待だ』と思いますか?

 

更に、今ほど体罰や虐待行為が問題視されていなかった頃の話です。

 

私は『虐待』という言葉すら知りませんでした。

 

私が、自分の経験を『虐待だ』と認識したのは、大人になってからです。

 

中学生くらいからは、妹達も大きくなり、近所の人達の助けなどもあって、両親の精神状態もかなり安定して、暴力はかなり減っていました。

高校生になってからは、バイトなどを詰め込んで家に居る時間を極力少なくし、親との交流を避けてきました。

 

バイトの延長で、父の趣味であるバイクにハマり、同じ趣味からほんの少しずつ、親とまともに会話することが増えてきました。

 

そこから少しずつ、家庭での私の立場は、地の底から向上していき、今ではほとんど対等な家族として交流しています。

 

私は虐待されていたけど、とりあえず生きて大人になったし、大きく道を踏み外すことも無かったし…と、それほど親を恨んだりもしていません。

 

いや、歯のことは恨んでます。あのあと崩壊した前歯は、今でも仮歯のままです。

あの時きちんとした治療をして差し歯にしてくれていれば…。

(金属アレルギーなので保険適用のものが使えないのです)

 

でもそれも、お金がなかったからだと諦めている部分があります。

 

それは『色々な経験と知識を踏まえて、母となってから、自分を被虐待児として認識した』からだと思います。

 

色々な経験をして、お金を稼ぐということがどれだけ大変か、どれだけお金が大切か。

母となって、子供を育てるのがどれだけ大変か、どれだけ責任を伴うのか。

 

旦那に経済DVをされ、何の手助けもしてもらえなかった私は、父が病気の中家事と育児をしていた事実の偉大さを知りました。

 

経済DVで家計を1人で支えていた時、母がどんな思いで必死に働いていたか知りました。

 

決して養護したいわけではありません。虐待は、確かに私に傷を残しました。

両親がやったことは、許される行為ではありません。

 

しかし、子供を持つ前に、自分が『被虐待児』だと認識していたら、いま母として子育てをしている自分は居なかったかもしれません。

 

 

『被虐待児』は虐待をする親になるのか

鎖でぐるぐる巻きの家族人形

私は、自分が『被虐待児』だと知らずに子供を産み、母となりました

 

自分が『被虐待児』だと認識してからは、自問自答の日々でした。

 

子供を叱ってから「これは虐待なんだろうか」と、ふと考えてしまうことが多くなり、接するのが怖くなりました。

 

私は、『普通の家庭』を知りません。

『虐待される家庭』が日常で、なにかマイナス評価なことがあれば殴られ蹴られ飯抜きにされ、追い出されたり監禁されるのが当たり前でした。

 

普通の家庭の子供が、普通に育つ過程を知りません。

どこまでが躾で、どこからが虐待なのかも分かりません。

だから、怒らない育児だの、叱らない育児だのの本や記事を読み漁り、真似してた事もありました。

 

しかし、うちの長男には全く合わなかったようで(笑)

長男はそのせいで?一時期は『我こそは全知全能の神!!』というような酷い状態でした。

 

このままではクズ野郎になってしまう、と悩んだ結果…

私はあるルールを決めて厳しくすることにしました。

 

①飯抜きにはしない

私の非行行為のほぼ全てが、『飢え』から来ていたからです。

②平手以上はNG

これは非難もあると思いますが、私は『引っぱたく』まではやっちゃってます。

 

とにかく、言葉では伝わらない子なんです。

突いても突いても鳴らない鐘のような子なんです。

 

あまりにも酷い時は、本当にぶっ飛ばしてやりたい衝動に駆られることもあって、「これが虐待の血なのか…」と思うことすらあります。

が、なんとか堪えています。

 

③監禁も拘束も締め出しもしない

今のご時世、なにがあるか分かりませんので、自分の目の届かないところにはやりません。

 

というか、私が子供の頃は裸で締め出されたりしたのに、よく生きていたなぁ、と思います。

 

これらの3つのルールを元に、私はまぁまぁ厳しく子育てをしています。

 

でも、自分が虐待しているのかいないのかは、分かりません。

どこまでが躾で、どこからが虐待なのか、明確な定義がないからです。

 

『被害者(子供)が虐待だと思ったらそれは虐待』とか、『子供が反抗しなくなったら』とかが判断基準なら、私は虐待をしていません。

 

長男は私を『怒ると怖いけど面白いママ』と称してますし、現在反抗期真っ只中で反抗しまくりだからです。

 

『第三者が誰か1人でも虐待だと言ったら』が判断基準なら、私は虐待をしています

「手が出たらもうダメ」とか「大きな声で叱るのもダメ」とか様々な意見があるからです。

 

まとめ

芝生に映る家族の影

結局、8歳の長男と1歳半の次男がいる二児の母になっても、『被虐待児が虐待をする親になるのか』は分かりません

『普通の家庭』が分からない以上、常に紙一重の所に居るとは思います

 

でも、それが一番大事なんだと思います。

私はそれを、被虐待児だったから親になるのが怖いという人に伝えたいんです。 

 

親も意思のある人間だし、子供も意思のある人間です。

意思のある者同士ですから、衝突することもあります。

『きちんとした人間に育てたい』と思えば思うほど、その紙一重は薄くなります。

 

誰にだって、虐待の恐れはあるんです。『被虐待児』だけじゃないんです。

 

私達は、その痛みを知っています。その思いを、飢えを、孤独を知っています。

その思いを、自分の分身とも言える子供に味あわせられますか?

 

『被虐待児』だったから、自分も虐待する親になってしまうわけではありません。

大事なのは、『子供の頃の自分を忘れない』ことだと、私は思います。

 

 

 

長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

mea.